無茶をせずに人から必要とされる人間になるには
人は社会的な動物と言われてはやうん百年(?)
人は1人では生きていけない、人は協力し合って生きていく生き物…
こういうふうに言っている人は非常に多く、非社交的な人からすると耳の痛い話であります…
人間という動物として生きていくために、人から必要とされる人間になることは生きる上で非常に大切であり、個人の幸福度を上げることに直結します。
しかし、非社交的な人間が社会に飛び込み、人から必要とされる人間になるということはなかなかしんどい話です。
もちろん社交的な人間であっても、なかなか人から必要とされる人間になるということはかんたんなことではありません。
ここでいう必要とされる人間というのは、私個人的な定義として、「あなたでなければいけない」「あなたじゃないとダメ」というものです。
たとえば、コンビニのアルバイトで自分のシフトが急用かなにかで入れないとします。
そうするとコンビニ側は困るでしょう。
しかし、私的にはそれでは私が必要とされているとは思えません。
コンビニバイトの方には失礼かもしれませんが、正直あなたでなくてはいけないことなどありません。
コンビニの店員として業務を遂行できれば誰だっていいのです。
もしあなたが今どこかでアルバイトをしているとすれば、あなたがその職場からいなくなっても変わりはいくらでもいるし、どうってことはないのです。
もしも努めている会社やアルバイト先が自分を必要としているんだ!と思っているのならばその考えは捨ててください。
残念ですがあなたはそれほど必要とされていません。
ならば、人から必要とされる人間とはなにか?
それは、自分のオリジナルを人に与えられる人間です。
自分のオリジナルとは、自分が作った作品のことです。
作品とは、音楽でもいいしゲームでもいいし、ブログ記事でもいいし、お笑いなどのコンテンツでもいいです。
とどのつまり、表現活動です。
自己を表現する、そして人が集まる。
この図式がまさに人から必要とされるというものです。
youtubeやニコニコ動画などで動画配信している方が多くいらっしゃいます。
人気の差はあれど、それぞれが自己を動画コンテンツとして世の中に発信しています。
そして人が集まってきます。
そしてファンが生まれます。
毎日あなたの動画を見ています!あなたの動画に出会えて人生が少し変わりました!
というようなコメントも多く見てきました。
自己を表現すること、それこそが人から必要とされる人間になることなのです。
しかし、自己表現というものを履き違えがえてしまうということもあります。
人から必要とされたい、認めてもらいたいという思いが強すぎるがために、人に迷惑を掛けてしまうというものです。
人を殺し、これが私の表現だ!!といっても人はそんな愚行を許しはしないでしょう。
そんなものは身勝手な行為で自己表現でもなんでもないでしょう。
自己表現とは、相手にとっても+になるようなことでなければいけないからです。
自分という人間を表現するぞ!さぁおまえらこれを見てみろ!!と相手に押し付けること、こんなことをしても誰もそんな人を必要とはしません。
押し付けるでもなく、人を困らせるわけでもない、むしろ相手にとって+になること。
これこそが自己表現ではないだろうか??
そしてそんな自分の身を削るような無茶なことをせずとも、自分自身を最初は少しでもいいから発信していく。
何も芸も特技もなくたっていいから自分を発信していく。
この小さな一歩を積み重ねることが最終的に大きなオリジナルを発信することの出来る必要とされる人間になるのではなかろうか。
youtubeやニコニコ動画で動画発信している人を見てみてほしい。
こんな事を言うのは非常に失礼ではあるのだが、ほとんどの動画配信者は正直大したことをしていません。
しかし、一つ言えるのは、何も自分を発信していない人が自分を発信している人に文句を言う筋合いは何一つないとも思います。
どんなにしょぼい動画であっても、きちんと自分自身を発信している人は私からすれば立派ですし、自分は何もしないのに人のことはガミガミと言う人よりも比べるまでもなくはるかに優秀で勇気があると思います。
自分を発信できる人、必ず人から必要とされます。
それも無茶をせず、背伸びもせず、ありのままを発信して。