農耕社会は失敗か成功か? 農耕社会がもたらした功罪
唐突ですが、日本は農耕社会です。
厳密に言うと、農耕革命が1万年ほど前に起きて狩猟採集時代から農耕社会になりました。
狩猟採集時代は、個人〜少数チームでの活動で、農耕社会は数人〜数十人のチームワーク戦です。
農耕革命が起きてから人はより集団で生活をしてきたわけですが、農耕社会は果たして成功なのか?
農耕社会になって得られた功罪はなにか?
農耕社会についての理解を深めてみましょう。
農耕社会は失敗か成功か? 農耕社会がもたらした功罪
何を持って失敗か成功かを語るとかなり長くなってしまうので、あえてそこは割愛させていただきます。
我々が農耕システムを得たことによって大きく社会の流れが変わりました。
農耕社会になって得られた功績〜人類の繁栄に大成功〜
まず農耕社会がもたらした最大の功績は
「人類の個体数を大幅に増やすことに成功した」ことです。
人類全体の繁栄に大成功し、農耕システムを採用した国は人口を多く増やすことに成功しました。
なぜならば、農耕は「お米」を作り出す作業のことですが、このお米というのが優秀で、他の食料収穫と比べて少ない面積から得られる収穫量が非常に多くなるからです。
わかりやすく言うと、麦が1から3得られるとして、米は1から10得られます。
圧倒的に収穫効率が良いのです。
そのため、より多くの人間を養っていくことが出来るということです。
農耕革命が起き、米食になってから食料自給効率が格段に上がり、養える子供の数も今までよりも増え、人類の繁栄に成功することとなったのです。
これは人類全体にとっては「繁栄」に成功したという立派な功績となったのです。
農耕社会の弊害〜嫌われることを恐れるようになる〜
春の〜木漏れ日の中で〜
ではなくて、農耕社会がもたらした功罪の「罪」の部分にフォーカスをした場合、農耕社会は大人数と協力し合って生活をするということです。
ということは、個人の勝手が許されず、他の協力者とうまくやっていかなければなりません。
ようするに協調性が重要になってくるということです。
自分勝手に振る舞うことで、他の協力者から嫌われることになります。
嫌われてしまうと、集団生活に支障が出てきてしまうでしょう。
学校を思い浮かべるとわかりやすいが、同じクラスメイトとなにかいざこざがあったとしたらその空間にいずらくなりますよね?
集団生活はみんな仲間というのが基本なのに、集団内で嫌われてしまうと、なにか行事をするときや、協力しあわなければいけないときに非常に不利になってしまいます。
得られるものも得られなくなり、集団生活において嫌われると、生きていく上で致命傷となるだろう。
そして農耕社会はお米を生産するために田んぼをベースに生活をします。
田んぼは移動させることはできないので、定住して生活する必要があります。
学校も大人数の人間との生活を共にし、それは狭い空間で定住するということと似ています。
定住すると流動性のない同じ人間との生活を送ることになります。
そういった環境でうまく生きていくためには勝手気ままに振る舞うことをせず、協力して嫌われないようにする必要があるだろう。
集団で上手く嫌われることなく、仲良く協力しあわなければいけないということは、それだけ相手の顔色を窺い、個人の勝手な行動や考えを抑えることになります。
相手からどう思われているか?を考えるようになり、相手から嫌われないようにするのに多くのエネルギーを費やすことになります。
つまるところ農耕社会は成功なのか?成功なのか?
結論は農耕社会(集団社会)は成功とも失敗とも一言には言えず、良い部分も悪い部分も両方あるということでしょう。
農耕社会は大成功!というのには大げさであるし、農耕社会は失敗した…というにも違うと思う。
ただ、一つ言えるとすれば、人類の繁栄には成功したが、個人の幸福レベルは低くなったのでは?ということ。
やはりチームワークで生活をするというのは相手に合わせたり、何かとストレスがたまりやすいものだ。
個人勝手気ままに生きるほうが個人幸福レベルは高いだろう。
個人の幸福にスポットを当てた場合は失敗だということも言えるかもしれない。