啓蒙99

啓蒙99

啓発とかPC関連とかですかね

無茶をせずに人から必要とされる人間になるには

人は社会的な動物と言われてはやうん百年(?)

 

人は1人では生きていけない、人は協力し合って生きていく生き物…

 

こういうふうに言っている人は非常に多く、非社交的な人からすると耳の痛い話であります…

 

人間という動物として生きていくために、人から必要とされる人間になることは生きる上で非常に大切であり、個人の幸福度を上げることに直結します。

 

しかし、非社交的な人間が社会に飛び込み、人から必要とされる人間になるということはなかなかしんどい話です。

 

もちろん社交的な人間であっても、なかなか人から必要とされる人間になるということはかんたんなことではありません。

 

ここでいう必要とされる人間というのは、私個人的な定義として、「あなたでなければいけない」「あなたじゃないとダメ」というものです。

 

たとえば、コンビニのアルバイトで自分のシフトが急用かなにかで入れないとします。

 

そうするとコンビニ側は困るでしょう。

 

しかし、私的にはそれでは私が必要とされているとは思えません。

 

コンビニバイトの方には失礼かもしれませんが、正直あなたでなくてはいけないことなどありません。

 

コンビニの店員として業務を遂行できれば誰だっていいのです。

 

もしあなたが今どこかでアルバイトをしているとすれば、あなたがその職場からいなくなっても変わりはいくらでもいるし、どうってことはないのです。

 

もしも努めている会社やアルバイト先が自分を必要としているんだ!と思っているのならばその考えは捨ててください。

 

残念ですがあなたはそれほど必要とされていません。

 

ならば、人から必要とされる人間とはなにか?

 

それは、自分のオリジナルを人に与えられる人間です。

 

自分のオリジナルとは、自分が作った作品のことです。

 

作品とは、音楽でもいいしゲームでもいいし、ブログ記事でもいいし、お笑いなどのコンテンツでもいいです。

 

とどのつまり、表現活動です。

 

自己を表現する、そして人が集まる。

 

この図式がまさに人から必要とされるというものです。

 

youtubeニコニコ動画などで動画配信している方が多くいらっしゃいます。

 

人気の差はあれど、それぞれが自己を動画コンテンツとして世の中に発信しています。

 

そして人が集まってきます。

 

そしてファンが生まれます。

 

毎日あなたの動画を見ています!あなたの動画に出会えて人生が少し変わりました!

 

というようなコメントも多く見てきました。

 

自己を表現すること、それこそが人から必要とされる人間になることなのです。

 

しかし、自己表現というものを履き違えがえてしまうということもあります。

 

人から必要とされたい、認めてもらいたいという思いが強すぎるがために、人に迷惑を掛けてしまうというものです。

 

人を殺し、これが私の表現だ!!といっても人はそんな愚行を許しはしないでしょう。

 

そんなものは身勝手な行為で自己表現でもなんでもないでしょう。

 

自己表現とは、相手にとっても+になるようなことでなければいけないからです。

 

自分という人間を表現するぞ!さぁおまえらこれを見てみろ!!と相手に押し付けること、こんなことをしても誰もそんな人を必要とはしません。

 

押し付けるでもなく、人を困らせるわけでもない、むしろ相手にとって+になること。

 

これこそが自己表現ではないだろうか??

 

そしてそんな自分の身を削るような無茶なことをせずとも、自分自身を最初は少しでもいいから発信していく。

 

何も芸も特技もなくたっていいから自分を発信していく。

 

この小さな一歩を積み重ねることが最終的に大きなオリジナルを発信することの出来る必要とされる人間になるのではなかろうか。

 

youtubeニコニコ動画で動画発信している人を見てみてほしい。

 

こんな事を言うのは非常に失礼ではあるのだが、ほとんどの動画配信者は正直大したことをしていません。

 

しかし、一つ言えるのは、何も自分を発信していない人が自分を発信している人に文句を言う筋合いは何一つないとも思います。

 

どんなにしょぼい動画であっても、きちんと自分自身を発信している人は私からすれば立派ですし、自分は何もしないのに人のことはガミガミと言う人よりも比べるまでもなくはるかに優秀で勇気があると思います。

 

自分を発信できる人、必ず人から必要とされます。

 

それも無茶をせず、背伸びもせず、ありのままを発信して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽にお金を稼ぐ方法はあるのか?そしてクラウドワークスは稼げるのか?

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この世に蔓延るお金をらくして稼ぐ方法。

 

ITが随分普及して久しいこのご時世、インターネットの海を泳いでいると、「らくして稼ぐ方法」や「スキル不要ラクラク高収入!!」みたいな広告を目にする機会が多いだろう。

 

果たして一番気になるのが、これらが真っ赤なウソの詐欺広告なのかどうか?

 

これらの広告の正体は何なのか?

 

そして、クラウドワークスなどの家にいながら個人でできる在宅ワークが稼げるのかどうか?

 

結構気になる内容ですが、わたしの経験談を混ぜてお話していきましょう。

 

クラウドワークスは稼げるのか??

 

クラウドワークスといったキチンとした(?)仕事のマッチングサービスなどにある案件は正直楽かというとそうではない場合もあるし単価もすくなく、アルバイトと同じくらいかそれ以下な感じではある。

 

私がクラウドワークスでこなした実際の案件は、レビューサイトの記事制作とフリマサイトやオークションサイトなどにブランド物の商品を出品する作業だ。

 

おそらくクラウドワークスなどのサイトにある案件の大部分はこれらの内容の案件だと思う。

 

初めて私がクラウドワークスで見つけた案件は、HULUなどの月額制動画サイトの紹介記事作成をするというものだった。

 

報酬は100件の記事作成で5000円の単発の仕事である。

 

内容は、HULUやNetflixに特定の映画があるかないかを示すといったもので、

 

手当り次第映画の名前でタイトルを作成し、〇〇はHULUで見れる?みたいなコピペサイトの記事制作をするというもの。

 

映画のあらすじを引用してきて各々の映画がそれぞれの動画サイトにあるかないかを調べてあったら○なかったら✗をつける単純な内容である。

そして最終的にそのサイトに来たユーザーを月額制動画サイトへ誘導し、成果報酬をもらう、というもの。

 

100記事作るといってもほとんどがコピペなので慣れればそんなに難しくないしめちゃくちゃ簡単で誰でも出来ると言っても言い過ぎではないかなと思うのだけれど、実際にこれらの作業になれた私でさえかかった時間が5時間ほどであった。

 

つまり単純計算で時給1000円ほどである。

 

ぶっ続けで集中してやればもっと早く終わっていたと思うけど、休憩を挟んで若干ダラダラやっていたりしていたため、5時間かかったのだ。

 

まぁ一般的なアルバイトと同等なくらいである。

 

全然悪くはないけれど、楽をしてお金を稼げるというと…

 

これは人によって意見が分かれるのかもしれない。

 

 

もっと専門的な案件になればもっと単価は上がるけれど、誰でもスキルいらずにラクラクといったら完全な大ウソになる。

 

つまりクラウドワークスなどのサイトにある誰でもスキル不要でこなせる仕事というのはアルバイトと同等か人によってはアルバイト以下になる。

 

つまり楽にお金を稼ぐ方法とは言えない。(内容的にも…うーん…)

 

これはオークションサイトへの商品出品作業も同じである。

 

こちらのほうがまだまともな内容の仕事だとは思うが、説明文や出品する商品の画像の加工や画像のアップロードなどの細かい作業が山積みである。

 

それに、実際に私がやっていた商品出品の仕事の単価(1つの商品出品につき)は100円であった。

 

つまり10個出品して1000円になる。

 

50個出品で5000円と先ほどのレビュー記事100件作成の仕事と同じ報酬になる。

 

しかし、こちらの商品出品作業は完全コピペとは言わず、商品によって説明を変えなければならない。

 

それらはある程度のテンプレは用意されていたものの、ある程度自分で文を考えなければならない。

 

画像の加工もだるいし時間がかかる。

 

誰でも出来る作業ではあるが、かなりしんどい。

 

これだったら会員サイト紹介コピペ記事作成のほうが幾分楽かなといったのが個人的な感想である。

 

 

つまりこちらも楽をしてお金を稼ぐというには少々手厳しい。

 

もちろん在宅でアルバイト並みの収益率を得られるという意味ではある程度は魅力がないでもない。

 

私自身も外に出るより家でお金を稼ぎたいと思っているし、完全に家を出ずにお金を稼げるのであれば、やって見る価値は十分にある。

 

しかしやはり、人は楽をしてお金を稼ぎたいと思うもの。

 

クラウドワークスなどのサイトでは楽をして稼ぐというには少々無理があるかも…

 

楽にお金を稼ぐ方法はあるにはあるのだが…

 

お金を稼ぐことは大変なことだ。

 

楽をしてお金を稼げるなんて甘い話はない!

 

これらの文言は言われに言われつくされた言葉のロングセラーであるが、はたして楽をしてお金を稼げる方法は本当にないのか??

 

楽に稼ぐ方法というのは実はあるにはある。(何を持って楽なのかはそれぞれあるけど…)

 

しかし、これらの稼ぎ方というのは、だいぶ限定されている。

 

というのはどういうことかというと、やはり身売り系(偏見)や違法なものである。

 

特に、女性限定!誰でも出来る高単価のバイト!というのは大概がチャットの仕事かアダルト系の接待サービスの案件なのである。

 

実際に私が女性のふりをして女性限定のバイトに応募?の相談をしてみたことがあるのだが、蓋を開けてみたら、チャットレディーの案件であった。

 

もちろん断ったのだが、提示された報酬はやはり高額であった。

 

それは時給最大2万円といったものだ。

 

相手の男性の人数に応じで最高で2万円になるというものだった。

 

1対1だと5000円でパーティー形式で単価が上がっていくというものである。

 

これはなかなかの高単価を誇っている。

 

チャットレディーをすることが果たして楽かどうかは人それぞれなのかもしれないが、別にスキルと言ったスキルはいらないだろう。

 

そして高単価なのは間違いない。

 

そしてもう一つ若い女性が出来る高単価のバイトと言えば、

 

アダルトライブ配信出演やアダルトビデオの撮影、アダルトチャットレディーの仕事である。

 

私の友人の友人(女性)から、高単価のバイトの案件を見つけて応募したところ、アダルトライブ配信出演する仕事だったという話を聞かされたことがあった。

 

彼女はその仕事を断ったみたいなのだが、もしお金に困っていて、そういった仕事に抵抗がないか興味があったのならば、出演してしまうということも十分あり得るだろう。

 

私もSNS上で見かけた女性限定の求人に女性のふりをして内容を相談したことが1度だけあったのだが、やはりその内容はアダルトチャットの仕事だった。

 

普通のノンアダルトのチャットよりも単価が良いよと言われたのを覚えている。

 

当然私は男なので(女だったとしても)断ったのだが、こういった仕事の求人がSNSでちらほら散見されている。

 

これは完全な身売りとも呼べる行為で、違法性があるかないかはその仕事によりけりだと思うが、非常に高単価なのは間違いないだろう。

 

それともう一つ男性だとしても誰でも楽に稼げるなと思ったものは、違法動画アップロードの仕事(?)である。

 

詳しく言うと、違法アップロードした動画の最初か最後にyoutubeで30万円稼げる!詳しくは動画説明欄まで!という広告を入れた動画をアップロードするというもの。

 

当然私はこんなことは一切やっていないしそんなものは仕事だとは思わないのだが、この手法で年収億稼いでいたとある人を知っている。

 

実際私はその人のメールマガジンを購読していたのだが、メールマガジンで発信していた内容は、ほぼほぼマルチだった。(なにげに良いことも言ってたりしていた)

 

ビジネスとは言えないようなことを行っていたのだ。

 

その人はyoutubeで30万円を稼ぐ方法という情報商材をいくらかの値段で売っていたのだが、その稼ぐ方法の情報内容は、お笑い番組などのある程度動画再生数を見込める動画の冒頭か最後に簡単に稼ぐ方法といった内容の広告を載せて動画をアップロードし、動画説明欄からyoutubeで稼ぐ方法の情報商材を買わすというもの。

 

これはなんというねずみ講

 

何の生産性もないただただ違法行為である。

 

youtubeで稼ぐ方法の情報商材を買った人に自身の情報商材をどんどん宣伝させようと言った魂胆で、主が子分をどんどん作り、売上を上げていく様は完全なる違法マルチ商法なのである。

 

これだと主だけが稼いで子分は稼げないのでは?とお思いの方はいらっしゃるかもしれないが、じつはこの情報商材を成約させると主からマージンがもらえる。

 

それも情報商材特有の超高還元率で最低でも30%、高いものだとなんと80%も還元されるというものも実際にある。

 

もちろん情報商材の全てが悪いものではなく素晴らしいものもあるが、そういう違法なものも未だに存在する。(今はだいぶ減った印象)

 

この高還元率に吸い寄せられて動画を違法アップロードする人間が後をたたない。

 

子が主の情報商材を宣伝してマージンをもらうべく、どんどん違法動画アップロードをしてお金を稼いでいるのだ。

 

動画にちょっとした広告を仕込んでyoutubeにあっぷろーどするだけでいいのだから確かに楽をして稼ぐことが出来るだろう。

 

もちろん完全なる著作権違反行為である。

 

※この手法は2013〜2014年くらいに猛威を奮っていたが、昨今では規制が強化されてこの手の動画はなくなってきた印象。

 

まとめ

 

楽にお金を稼ぐ方法はあるにはあるが、若い女性限定なチャットレディといったものである。

 

アダルト系ならばさらに高単価。

 

そしてそれ以外だと、マルチ的な違法行為である。

 

クラウドワークスが稼げるかどうかは、スキル不要であれば、一般的なアルバイト並みかそれ以下といった印象。

 

もちろん高単価のものもあるが、誰でも出来るわけではなく専門的なスキルが必要な場合がほとんど。

 

 

私の見てきた世界が狭く、もっと楽に稼げる方法がこの世にはあるのかもしれないが、もしそんな楽して稼げて違法性がないものを知っている人がいましたら、ぜひ私にご一報ください(^o^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果なんて求めなくていい 今この瞬間を満足に生きる

結果を求めてしまう、結果がすべてだ。

 

そういう考えを持った人は少なくないだろう。

 

結果がすべて!終わりよければ全てよし!

 

私はこの考え方はすきではない。

 

結果を求めるよりも今この瞬間を満足に生きることのほうがずっと楽しいし充実できるからである。

 

結果を求めるより今この瞬間を生きる大切さと理由を書いていこうと思います。

 

結果なんて求めないくていい、今この瞬間(過程)を最大限に生きる

 

私は断言する、結果など求めず今この瞬間を最大限に生きようと。

 

結果を求めて何が行けない?結果を求めるから頑張れるんでしょ!という声が聞こえてきます。

 

その意見は間違っていません、たしかにそのとおりです。

 

結果を求め、それに向かって努力をすることで頑張れるしモチベーションになる。

 

というのもそのとおりです。

 

ですが、その考え方が基本だと私が考える本当の人生の満足にはつながらないと思うのです。

 

なぜなら、結果を求めるということは、過程を無視してしまうからです。

 

 

とくにビジネスにおいては成功することが重要であると考えられています。

 

成功を収める(売上を達成する)ことがビジネスにおいての根幹であり大切なことなのである。

 

はい、この考え方はかなり資本主義的な価値観です。

 

私は資本主義的な価値観では本当に幸せにはなれないと断言できます。

 

資本主義的価値観は結果至上主義ともいえます、そして、過程がないがしろしされがちです。

 

ということは、良い結果が出なければ過程がどうであれ全てダメだ!という考え方になります。

 

過程の中にこそ様々なドラマやストーリーがあるのに、結果が全てでそれらを見ないのはあまりに悲しいではないか。

 

結果さえ良ければ中身は重要ではないのか?

 

つまり、結果なんて求めなくていい 今この瞬間を満足に生きるということは資本主義的な考えを捨て、過程の中に喜びや充実を見出し、満足するということです。

 

お金は大切だけどもっと大事なものがたくさんある!的な考えですね。

 

最小限のお金で幸せになるという考え方でもありますね。

 

今目の前に広がっている光景、現象、それらに心を巡らせ、感動すること。

 

それらがいかに大事で素晴らしいか。

 

それらを軽視して結果ばかり追い求めるのがいかに虚しいか。

 

資本主義的ではない結果を求めるという考え

 

先程、結果=資本主義的なものと書きましたが、それだけではありません。

 

求める自分にとっての良い結果というものは、ビジネスで売上を出し成功すること以外に、異性に告白しOKをもらうこと、大会で優勝をする。ということも結果を求めることだからです。

 

異性に告白しOKをもらうことと大会で優勝することは資本主義的ではありません。

 

原始的価値です。

 

人の上に立ちたい、人からよく思われたい、異性を獲得し繁殖したい、という原始的価値観ですね。

 

私達人間も動物なので、当然これらの基本的な欲求というものがあります。

 

その欲求を満たすために結果を求めるというものです。

 

いい結果を得られれば自分自身が幸せになり満足できます。

 

しかし、逆を言えば、良い結果が得られず、悪い結果がもたらされれば、人は苦しみ不幸になるでしょう。

 

欲望を満たせられなかった人の苦しみというものは闇が深く、苦痛なのです。

 

この世で起こった事件のほとんどが欲望を満たせなかった人ないしは強引に欲望を満たそうとした人がもたらしたものと言えるでしょう。

 

強引に欲望を満たさざるを得なかったのは普段から適切な欲望が満たせられなかったからでしょう。

 

つまり、結果を求めようとするということは、破滅の引き金になり得るのです。

 

結果を求めるということは期待をするということ

 

私は世の中の全てのことに期待をしていません。

 

人生はうまく行かないのがデフォルトだという考えが基本にあるからです。

 

なぜうまくいかないんだ!!ではなく、まぁうまくいかなくてあたりまえだよね精神です。

 

しかし、結果を求めようとすることは、欲望を満たそうということと同じであり、欲望を満たせなかった場合には不幸になり、今までの自分が行ってきた過程を軽視してしまいます。

 

欲望を満たせなかった不幸が祟って悪い行いをしてしまう人もいるでしょう。

 

そんな結果至上主義な世界に本当の満足などないでしょう。

 

誰もが結果を求めるし、良い結果を得たいというのは私の中にもあります。

 

しかし、結果がどうであれ、自分がしてきたこと、過程、それらに誇りを持ち、これでよかったんだと心から言えるような世界、それこそが本当に幸せな人生ではないだろうか?

 

ビジネスにおいて成功したいと思うことも原始的な欲求を満たそうとすることも全て結果を求める行為です。

 

良い結果がいつでも得られるのであれば、幸せかもしれませんが、そんな人生はありません。いつでも失敗の連続です。

 

結果を求めず、今この瞬間(過程)を生きることは、今目の前で起きていること、今目の前に広がっている光景に思いを巡らせ、本当の充実や満足に繋がります。

 

良い結果が得られなくても、「まぁこんなもんだよな、でも今までやってきたことのこんなことやあんなこと、色々合ったけど充実してたし自分にとって勉強にもなったし一言で面白かった!」

 

と言えたら最高ですよね。

 

とはいえ、お金を稼がなくちゃいけないし、生殖活動しないと…

 

お金がなければ生活ができません。

 

生殖活動しないと少子高齢化して大げさに言えば人類が滅亡してしまいます。

 

お金を稼ぐこと、子孫繁栄すること。

 

これらは生き物である私達人間が行う基本中の基本的な行動と言えるでしょう。

 

それらを遂行していくために結果を求めることは必要不可欠のように思います。

 

なので、ある程度結果を求めようとすることは本能だし、仕方ないと言うかそれが人間だよねというものでしょう。

 

ですが、特に現代においては、かなり結果至上主義で結果が出せなければ不幸といった価値観が強くあります。

 

ある程度の結果を求めることは大事でしょう。

 

しかし、ほどほどにして基本うまく行かないよねというスタンスで今この瞬間を楽しむことをメインに生きていくことが、本当の幸せ、満足につながると確信しています。

サービスの品質がトップクラスの国の末路

どうもKANEPONです。

 

2020年も半分が過ぎようとしています。

 

2020年といえば、個人的にIT界隈の進化が結構はっきりと実感できそうになる年になりそうな感じです(語彙力)

 

というのも、2020年からは5Gが本格的に始動し始め、みんな大好き(?)PS5というプレステ第5世代機が登場します。

 

そういったテクノロジーの分野が次世代に突入しているというのもそうですが、youtubeなんかも2019年頃からかなり盛り上がってきている様子です。

 

多くの芸能人やタレントがyoutubeデビューを果たし、今まではありそうでなかったコンテンツもかなり増えてきています。

 

たとえば〇〇大学といったような、ちょっと前までは有料レベルの有益情報を無料で沢山発信しているyoutuberの人たちの動画ですね。

 

youtubeがあればもう大学いらなくね?と言ったら大げさですが、ホントにそう思えてくるほどに充実した内容の濃い情報群たちが今はyoutube上にあふれています。

 

そして一昔前だと有料だったワードやエクセルといったPC業務の基礎的なソフトが今だと無料で使えてしまいます。

 

無料フリマアプリ、便利な宅配サービス(最近だとウーバーイーツが注目されてる)など、便利で嬉しいサービスがたくさんあります。

月額1000円くらいで大量の音楽が聞ける定額制音楽ストリーミングサービス、無料のスマホゲーム。

 

ここ10年くらいでめちゃくちゃいろんな便利なサービスが増えてきました。

 

さて、そんなサービス過剰ともいわんばかりの現代社会、まだまだ発展途上国はそうではないのかもしれませんが、日本を始めとする先進国は非常にサービスの品質がよく、こんな良質なサービスを受けれるなんていい時代に生まれたなぁ〜なんて思いを馳せるのですが、世界でも特にサービスの品質がずば抜けてトップである我が国日本。

 

日本のサービスの品質は間違いなく世界トップレベルでしょう。

 

電車が時間通りにきちんと来る、お客様は神様精神でどんなに理不尽なしょうもない客にも丁寧な接客をする(主に全国チェーン店)

 

落とし物をした際などに警察に電話をするときちんと応対してくれる(欧米だと落とし物関係の電話は意外と適当にあしらわれるらしい)など、日本は非常に国民に対してサービスが過剰すぎるくらいに良いです。

 

サービスの品質がトップクラスの我が国日本の末路

 

しかし、そんなサービスの品質がトップクラスの我が国日本の末路はというと…

 

低俗なAMAZONの商品レビュー、平均年齢8歳くらいかと思わせる稚拙なアプリレビュー、ファストフード店でしょうもないイチャモンを付けるオヤジ、コンテンツを発信してくださっているエッセイストやアーティスト、タレントへの心無い誹謗中傷、ネット上ではびこるクレクレ乞食行為、評論家気取りのツイッタラー、上げればキリがありませんが、現代の日本人は少々わがままになっている気がしてならないのです。

 

やはりイキ過ぎたサービスは人をわがままにするなと思うのです。

 

以前テレビでやっていた松本人志宮本茂(マリオやゼルダシリーズの開発者)が対談するという非常に面白い番組を放送していたのですが、その対談で松本人志

 

「ファンはわがままですよねぇ〜、本来お笑いというのは笑わせる側が凸で受け取り手が凹であって、それでカチッとハマって成立するんですけど、最近は受け取り手も凸なってきて、我々が凸を押し付けると凸同士でうまくハマらないんですよねぇ〜」といっていたのをよく覚えています。

 

これは過剰なサービス(より面白いコントや漫才)がサービスの受け取り手(漫才やコントを見ているファンの人)をわがままにするということと同じではないだろうか?

 

今はたくさんのお笑い芸人がいて、それらのコントや漫才をyoutubeなどで無料で公開して沢山の人を笑わせています。

 

そのお笑いレベルもすごく上がっています。

 

しかし、そんなレベルの高い質の高い大量のコンテンツを与えることで、やはり人はもっともっと!となり、どんどんわがままになっていくのではないだろうか。

 

そのため、少しでもレベルが下がると、昔はもっとよかった、もっとちゃんとやれ。などと思ってしまうのではないか。

 

人の欲には際限がないので、これくらいのサービスで満足!といったふうにはなりにくく、もっと質の良いサービスを求めようとします。

 

そうするとキリがなく、どんどんわがままになっていって、先程の松本人志がいったように、本来凸と凹で成立するものを凸と凸になってしまって互いにぶつかり合ってしまう、というふうになってしまうのではないだろうか。

 

サービスの品質が高いことは非常に喜ばしくありがたいことなのだが、人の欲望には際限がなく、もっともっといいサービスを求め続け、1億総ワガママ国家になっていくのでは?とも思わざるを得ません。

 

1億総ワガママ国家になってしまってはいいサービスも生まれづらいだろうし、人々の幸福度が更に下がってしまう気がしてならない。

 

今一度我々は非常に質のいいサービスを受けて生きているということを自覚し、もっと謙虚にもっと感謝して日々を生きていくのがいいのではないだろうか?

 

私は強くそう思う。

 

そうすればいちいち人のことを誹謗中傷したり、何の参考にもならないような商品レビューやアプリのレビューに時間を費やさなくても良くなるのではないだろうか。

 

ただの暴言やワガママからくる不満なのではなく、きちんと一本筋の通った批判や指摘を冷静に客観的にできる人間が増えてほしいものです。

 

もっと感謝の心を持って人を非難する時間を本一冊読む時間に変えれば啓蒙があがってもっと幸せになれるよ!

 

 

 

 

 

バカの定義4つ

はてさて、バカと言う言葉を聞いて使ってはや数十年、バカと言う言葉はあまりにも曖昧で抽象的で漠然としている。

 

ここでちょっとバカというものの定義を自分なりに考察してみたので、どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

 

バカの定義とは?

 

ん〜バカの定義ねぇ…バカってなんなんでしょうね。

 

褒め言葉にも使われるし、ただ単純に貶すのにも使われるし、使われる用途もめちゃめちゃ広くてすごくざっくりしているよねぇ…。

 

バカというものの定義は色々合ってコレ!というものはないけれど、自分なりにいくつかバカというものを定義してみたので紹介しよう。

 

バカの定義① 見たまんま、聞いたまんまの上辺だけの情報で感情的に反応する人間

 

ん〜、どういうこと?w

 

見たまんま、聞いたまんまの上辺だけの情報というのは、たとえば、炎上商法としてみられる、タイトルで釣るという手法にまんまと引っかかる人、というとちょっとわかりやすいかな?

 

要は、人が言っていることをそのまま受け取って深く考えずにそれに対して反応してしまう人間。

 

著名人がこうこうこういう人ってバカだよねぇ〜と言っていたのを聞いた場合、バカな人は

 

何この人偉そうに!とか感じ悪ッ!などと感情的に反応してしまう人ですね。

 

たとえば、ガードマンが道を誘導していて、ちょっと動きが遅かったり、反応が悪かったりしているのを見て、あのガードマンやる気あんのかよ?だのあのガードマン全然仕事できてないし!とおこってしまったり不満を言う人ですね。

 

ここで、バカではない人ならば、著名人がこうこうこういうひとってバカだよねぇ〜と言っているのを聞いた場合、この人はどういった考えがあるんだろう?とか、この発言をしたということは何か意図があるのではないか?と考えます。

 

ガードマンが道を誘導していて、ちょっと動きが遅かったり、反応が悪かったりしているを見た場合は、あのガードマンもしかしたら具合が悪いのかも?と考えたり、もしかしたら体にハンデのある人なのかも?と相手のことを深く考えることができます。

 

こういう人は決してバカではありません。

 

見たまんま、聞いたまんまの上辺だけの情報で感情的に反応してしまうというのは、浅知恵、無思慮によるバカですね。

 

バカの定義② 向上心がなく、いつも自分以外の物や人のせいにする人

 

向上心が全く無く、保守的で、自分のことを棚に上げていつも人のせいにする人いませんか?

 

おそらく結構いると思います。

 

そういう人はどんなに学歴が高かろうと、収入が良かろうと「バカ」です。

 

明らかに自分が悪いのに、お前がそこにいるのが悪いんだろ?と言わんばかりな上司。

 

連絡ミスをしたのにそのことを棚に上げて、お互い気をつけようね?と言わんばかりの上司。

 

 

モテナイという悩みに対してアドバイスしたら、だってこうなんだからしかたないだろ!と自分の欠点を認めず、言われたことに対して反発し、自分がこうなったのもだれだれのせい!とか、あいつさえいなければうまくいっていた!

 

といったようなことをいつもいっている友人

 

ゲームで明らかに自分のプレイスキル不足のせいでクエスト失敗したのに、他のやつやる気あんのかよ?このギルメンクソすぎるわぁ!と他のギルドメンバーのせいにする友人

 

※友人は同一人物です

 

百歩譲って人のせいにすることには目を瞑るとして、向上心が合って、もっと強くなるために努力をしよう!と努力ができていればまぁ良しなのですが、その努力さえ言い訳をしてまったくしないという救いようのない野郎…。

 

ちょっと悪口混じりになってしまいましたが、人のせいにして向上心がない人は間違いなくバカヤロウです。

 

関わるとバカがうつっちゃいます…。(うつりかけている)

 

これは人間の怠慢や怠惰といった怠け心が生み出す愚かさのバカですね。

 

バカの定義③ 情報の取捨選択ができない人

 

今の時代は情報化社会でさまざまな情報がネット上にめまぐるしく飛び交っています。

 

その情報の海は玉石混交で、良い情報も悪い情報も、正しい情報も、間違った情報もたくさん混じっています。

 

そこで、情報の取捨選択ができないと、悲惨なことになります。

 

実際に情報を鵜呑みにして騙された!ということはありますし、それがまだ間違ったダイエットや筋トレ方法を実践していたとかならかわいいのですが、事件に巻き込まれたりしたら洒落になりません。

 

正しい情報取捨選択ができなかったがために人生台無しになるというのも有り得ます。

 

そんな情報化社会で情報の取捨選択ができない人間は「バカ」です。

 

 

バカの定義④ 社会の構造や仕組みを理解できていない人

 

社会というのはうまくできていて、そこには構造や仕組みというものがあります。

 

利害関係もそうですし、誰が得するかや、なぜ学校教育があるのか?など、

 

社会の諸々の仕組みをわかっていない人というのはバカです。

 

これは別に専門的な難しいこととかではありません。

 

誰が得をし、この仕組が何のためにあるのか?国家というものは何によって支えられているのか?とか、なぜこのサービスは無料なのか?などといったかんたんなことです。

 

よくこれらがわかっていないと、無料が当たり前、金取るのは間違ってる!とか

 

通ってた学校の偏差値でマウントを取ったり、奴隷の鎖自慢てきなことに一喜一憂することになります。

 

社会の仕組みを知っている人からしたらものすごく滑稽に見えるでしょう。

 

女王の教室でおなじみの阿久津先生の名言でこういうものがあります↓

 

日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。

そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる? 今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。

世の中のしくみや、不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら、上司の言うことを大人しく聞いて、 戦争が始まったら、真っ先に危険な所に行って戦ってくればいいの。」

 

社会の仕組みを理解していない人が、阿久津先生の言っていたようなことをして、社会の仕組みを理解して、それを利用できる一部の人間が、特権階級ではない人をこきつかうということをいっています。

 

残念ながらこの阿久津先生の名言は完全に的をいていて事実を言っています。

 

これは現実です…。

 

世の中の仕組みとは特権階級の人がそうでないひとを利用して成り立っています。

 

良くも悪くもこれは紛れもない事実なのです。

 

これを聞いて、感情的になってしまったのならばあなたはバカですよw

 

つまりそういうことです(どういうこと?)

 

10連ガチャをヨダレ垂らしながら回してSSR出ねぇ!!って言ってる人の8割はバカです(偏見)

 

てか少し前の自分…

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

 

自分なりにバカというものを定義してみました。

 

おおまかにいうとバカというものは、

 

見たまんま、聞いたまんまの上辺だけの情報で感情的に反応する人間(無思慮)

向上心がなく、いつも自分以外の物や人のせいにする人(怠慢)

情報の取捨選択ができない人(無思慮)

社会の構造や仕組みを理解できていない人(無知)

 

「怠慢」「無思慮」「無知」から来ているものが多いのかなぁと言った印象です。

 

ただ、無知=バカではありません。

 

これは、全知全能ではないかぎりどこかの分野では誰でも無知だからです。

 

大事なのは自分の無知を自覚し、学び、向上心を持つことです。

 

なので、やはり向上心のない「怠慢」がバカの根源な気がします。

 

反省しない、学習しない、行動しない、これらはすべて怠慢が原因です。

 

7つの大罪というのがありますが、怠惰が一番の罪のような気がします…藁

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホリエモン「多動力」レビュー  自分自身の価値を100倍高める方法

初の著書レビューとのことで、堀江貴文ことホリエモンの著書である「多動力」をサクッとレビューしていこうと思います。

 

多動力自体読みやすくてそんなに時間がかからないのですが、この本をまだ見たことがないあなたへちょっと解説をしちゃうよ♡

 

なかなか気づきが多く良い本なので個人的にはおすすめなのですが、特に良いと思った部分をチョイスしていきます。

 

自分自身の価値を100倍高める方法

 

さて、このよのなか自分自身に価値がないと感じている人はかなり多いのではないだろうか?

 

自己肯定感が低く、自分には何もない、才能もなければ運もない。

 

そんなネガティブな思いを抱えている人には特に為になるのがこの、

 

自分自身の価値を100倍高める方法

 

です。

 

この社会で自分の価値を高められたらもう食うに困らない最強の財産になります。

 

しかし、価値を高めるのはすごく大変で時間がかかると思ってないですか??

 

もちろん楽じゃないし、時間もある程度はかかりますが、誰でも才能とかそんなもの関係なしに価値を飛躍的に上げる方法がこの多動力に書かれています。

 

それはなにかというと「肩書の掛け算」です。

 

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ちょっとわかりにくいので、わかりやすくいうと、

 

弁護士×ラジオパーソナリティー

プログラマー×マーケッター

 

など、複数の肩書をもつことで、自分自身の価値を掛け算方式に飛躍させるというものです。

 

ホリエモンいわく、一つの物事を100まで極めるのは一生かかるか一生かけても極められないとのこと。

 

しかし一つの物事を80まで上げるのは割と時間はかからないと言っています。

 

つまり、一つの物事を100まで極めるより、一つの物事は80までにしといて、もっと他のことにも手を付けて、それらも80まで上げていこうというものです。

 

ズバリ難易度でいうと、80〜100>0〜80ということですね。

 

80から100にする労力と時間でほかのことを0から80まであげちゃおうということです。

 

ひとつのことを100まで極めようとするのは間違いではないし、それはそれで素晴らしいとホリエモン自身も言っておりますが、今この時代には、一つの物事を極める人よりも、80を複数持つマルチな人間のほうが価値がずっと高いとも言っています。

 

この0〜80をいくつかハシゴすることをホリエモンは多動力と言っています。

 

この本の核の部分ですね。

 

この80を複数持つことは、自分自身の価値を掛け算式に飛躍してくれるものなのですが、

 

それはたとえば、1000人に1人しかできないことができれば1000分の1の人材になれます。

 

なかなかすごいことですよね。

 

しかし、100人に1人ができることを2つ持っていたらばどうなるでしょう?

 

100×100=10000です。

 

1万人に1人の逸材になれるのです!!!

 

つまり、10000人に1人の価値=100人に1人の価値を2つもっている

 

ということなのです。

 

ウェブサイトをフルカスタマイズできるスキルを持っている人が100人にひとりで、ウェブマーケットをしている人が100人にひとりならば、ウェブマーケットができて、なおかつウェブサイトのフルカスタマイズもすることが出来る人は10000人に1人ということになり、大変貴重な逸材になれるのです。

 

10000人に1人しかできないことを会得するよりもずっとかんたんそうではないですか??

 

100人に1人をハシゴしまくって

 

100×100×100になれば、なんと10万分の1というとんでもない価値になります。

 

ここまでくればもう人間国宝レベルですよ!

 

掛け合わせる肩書は何でも良いのか?

 

ここで、かけ合わせればなんでもいいの?という疑問が来そうなので、それに答えます。

 

結論から言うと何でも良いです。

 

これとこれは相性が悪いからダメ!とかは基本的にはありません。

 

どういうことかというと、一見相性が悪そうでも、その人自身の価値ということには変わりないからです。

 

とどのつまり、その人間がしているものにフォーカスしているのではなく、その人のひととなり、人間性にフォーカスがいっているということです。

 

スポーツもできて料理もできるなんて素敵!!なんて事を言っている女性をみたことはありませんか?

 

料理が上手だとスポーツも上手くなるといったことはなく、直接スポーツと料理は関係はありませんが、その人自身の価値として「料理ができてスポーツも万能」といったその人自身の総合評価に直結するのです。

 

プログラムが組めて声がめっちゃ渋くてかっこいい、将棋が強くてイケメン。

 

といった関係はないけれど、その人自身の価値が上がっているのが事実です。

 

100人に1人レベルのイケメンが100人に1人レベルの歌のうまさならば立派な10000分の1でしょう。

 

なので、掛け合わせる肩書は双方に関係がなくても、その人の価値(魅力)になるのです。

 

もちろんかけ合わせる相性問題がまったくないというわけではく、上で出した例でいえば、プログラマー×マーケッターならば自分でプログラムして作ったコンテンツを得意のマーケット力で販売を上げることも出来るし、ラジオパーソナリティーで更に弁護士であれば、弁護士であることを生かして弁護士ならではの独自のトークができますからね。

 

ただ、ホリエモンも基本的には掛けた肩書はそのままその人自身の魅力になる。というふうに言っています。

 

これからは個人の時代と言われているので、ますます個人の価値を高めて行くべきですよね。

 

 

日本特有の同調圧力の正体

KANEPONです。

 

日本といえば集団主義的社会です。時代が進んで日本も欧米的な価値観を持つ人が増えましたがそれでもまだまだ昭和的な集団主義的社会です。

 

そして集団主義といえば同調圧力

 

この同調圧力によって苦しめられてきた人は相当多いのではないだろうか?

 

このやっかいな同調圧力の正体を今回は記事に書いていこうと思いますよ。

 

日本社会に蔓延する同調圧力の正体

 

日本社会に蔓延する同調圧力の正体…その正体はズバリ!!

 

「日本の風土が作り出した暮らしの知恵」である。

 

これはどういうことかというと、そもそもなぜ日本には根強い同調圧力というものがあるのか?

 

結果には必ず原因がある。

 

ただたまたま日本社会は同調圧力が強い国である。ということはない。

 

日本に同調圧力が強く蔓延している最たる理由は、日本は災害が多い国であり、その災害が多い日本という国の風土が日本人に与えた淘汰圧というものが今でも残っていると考えられているからです。

 

ではなぜ災害大国だと同調圧力が強くなるのか?というと、人間は自然災害を目の前にしたらあまりに無力で小さいものです。

 

その偉大な自然と共に生きていくためには人と人とが協力し合っていく必要があります。

 

もしも、人と人とが協力しあわず、それぞれみんな「自分は自分」や「俺は1人でどうにかする」などといっていては、度重なる自然災害を乗り越えて生きていくことは不可能です。

 

自然災害が多いという環境下では、人と人とが協力し合わなければなりません。

 

そして人と人とが協力し合って、共同体となったとき、個人個人の勝手は許されない場合が多くなります。個人よりも集団、共同体を軸に考えて生きていかなければなりません。

 

そしてそんな集団主義社会が形成されます。

 

集団主義同調圧力はある程度セットになっています。

 

なぜなら、人と違うことや個人の好き勝手が思わぬミスや不幸などをもたらすため、同調圧力をかけることによって、そういった事故を未然に防ごうとしているのです。

 

いわば同調圧力とは集団主義社会における防衛本能といえましょう。

 

人は生物なので、繁殖し、自己を守ろうとします。当然といえば当然ですが、同調圧力とは元を辿ればそういった生物が繁殖していくための基礎的な防衛本能だったのです。

 

それはまさに「日本という国の風土が作り出した暮らしの知恵」ですね!!

 

そう考えると、同調圧力というものへのイメージもいくら変わると思います。

 

ん〜深いですなぁ…

 

まぁここまで深く考えたことある人ってあんまりいないのでしょうけど…